
おぉ、これが知足のつくばいかぁ~、危うく見過ごすとこでした^^; 吾唯足知。 中心の「口」に、周辺の文字を当て込み「吾、唯足るを知る」。 龍安寺のパンフレットによれば「禅の格言を、謎解きに図案化された、無言の悟道である」なのだそうです。

水戸の黄門さまが、お寺から借りた本のお礼に、寄進したのだそうです。

ひっそりと、あります。石庭の真裏です^^;

この垣根、龍安寺垣っていうのかぁ。そういえば、
参道の石段の両脇にもありました。ふ~ん。
http://tollianord.exblog.jp/3290861/

売店の窓です^^;

第三コーナーより、第四コーナーに向かう廊下から、石庭を見てしまいました。
●知足のつくばい
写真のはレプリカで、本物は茶室・蔵六庵の前にあるのだそうです(非公開)。ところで、このつくばいの側にあるという、侘助椿。秀吉の朝鮮出兵のおり、侘助なる人物が持ち帰った、日本最古の侘助椿なのだそうです。秀吉絶賛の美椿で、これは、茶室の前の本物の方にあるみたいです。
次回は、方丈の後編です^^;
★追記(9/23):
クイズ龍安寺・・・知足のつくばい、運んだのは誰やねん?
答え:助さんだった(かも)
龍安寺学芸員の岩田氏によれば、黄門さまお付きの助さん・格さんの助さんではないかとのことです。
助さん(佐々木助三郎)は、15歳の頃、父親の命により妙心寺の僧侶となり修行していたそうです。還俗した34歳以降に黄門さまに仕えることに。大日本史編纂の資料として「太平記」を拝借するにあたり、妙心寺とゆかりの深い助さんが借出、返却に龍安寺を訪れたそうです。その際、お礼として持参したのが、この知足のつくばい。
さらに岩田氏によれば、佐々木助三郎の経歴から、このつくばいを考案したのは助三郎自身なのでは、と考えていらっしゃるそうです。
↑リンク元、わからなくなっちゃいました、すいません(泣)。短く編集しました。